【第47回】「俯瞰(ふかん)して眺める」エドワード・ヘイムスさん

さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは写真家として活躍する傍ら料理人としての知識を生かしたみそ汁専門店「MISOJYU」などを幅広く展開するエドワード・ヘイムスさんです。(写真はいずれも本人提供)

 

 

木暮 写真家を目指して渡米されたのですか?

 

エドワード 東京で生まれて18歳まで湘南で育ちました。高校を卒業後に渡った米国はヒッピー文化が全盛で、人に対する警戒心が全くなく、博愛に満ちあふれた「何でもオーケー」な世界でした。当時はコミューン(生活共同体)みたいなものがあり、特技さえあれば食べものや寝る所は無償で確保できたので、ギターを弾いて食事を調達していました。そこでの音楽活動にも飽き、都会の生活に憧れてバスに3日間揺られてニューヨークに向かいました。現地のアートスクールを受験してイラストレーターを志望したのですが、写真を専攻するほうが自由に動けることに気が付きました。カメラを持てば外に出て好きなところに行けますから。

木暮 自由な人が「自由」に出会った。

エドワード 必死で自由を追い求めていたわけではないのです。当時は若かったから、面白そうなものは何でも撮影しました。連絡先をくれた人に写真を渡したりして関係を広げていると少しずつ仕事の依頼が入るようになりました。誰にも師事しないですべて独学でしたので時間はかかりました。

木暮 帰国してさらなる転機が訪れます。

 

エドワード 当初はそれほど長くニューヨークに滞在するつもりはなかったのです。ファッションフォトグラファーとして活動していたころ、たまたま用事で日本に戻ったら国内がとても盛り上がっていました。動きが活発で予算も潤沢にありました。建築写真なども手掛けるようになった頃、4年間ほど食に関する仕事を任されるようになり、世界中を駆け巡っていろいろなものを食べました。当時はアポイントメントから現地での運転、インタビューまですべて1人でやりました。日本が活気に満ちたパワフルな時代で、ファッションカタログの撮影ともなると海外ロケがほとんどでした。プロの写真家として各国に行く中で、料亭旅館や世界のリゾート地などを取材する機会が増え、食に興味が湧きました。米国西海岸のカリフォルニアに戻り、シェフとして8年間ほど研さんを積みました。

木暮 そこでみそ汁を提供する構想が生まれる。

エドワード 私自身は日本の原風景がおふくろの味で、少なからず興味はあったのですが、米国の場合はインスタントのみそ汁がほとんど。出汁(だし)から取るような本格的なものは高級料理店に行かないとお目にかかれませんし、みその種類も限られています。国外に出て初めて日本製の価値が分かります。国内では見慣れてしまって、みんな素通り。素晴らしい価値が見逃されている感じです。日本国内には種類が豊富なこだわり抜かれたみそが数多く存在します。海外でも「miso soup(みそスープ)」として知られるようになりましたが、流通しているのは限られた種類のみ。一方、米国西海岸では、健康の維持に意欲的な人たちが発酵食品に興味を持つようになったのと、地産地消のトレンドを追い風にカリフォルニア料理が注目された。米国で暮らした時期はそうした大きな流れができつつある期間。その「波」に私はサーファーのように乗れたのかもしれません。

木暮 写真家として高くアンテナを張っていて、多くのものに興味をお持ちだからでしょう。

エドワード そうですね。写真家は人生の中で客観的に眺める時間が人よりも多いように感じます。判断をしないで眺めている中でいろいろなものが目に入ってきます。

木暮 素人からすると、被写体をどう撮影するかという「ここだけの世界」の感覚だと思っていたのですが、時代の流れや歴史・伝統といった大きなものを見ているのですね。

エドワード プロのカメラマンだと「捉えて仕上げる」というプロセスもあるのですが、写真家というのは世界や人生への客観性が大事です。主観をあまり持たない。人間はかなり条件付けをされているので、できるだけ客観的に見ていくことが大事だと思います。直感的ですね。考え方というのは子どもの時にインプットをされてしまっているわけですから。心のハードディスクやハードドライブをアップグレードやアップデートしないといけません。時には捨てることも必要です。まめにやらないと、すぐ目が曇ったりフィルターがかかったりしてしまうから難しいですね。

木暮 客観性を保つために自分のハードディスクをクリーンアップするイメージ。

エドワード 意識的にしていかないと。避けられない機械的な流れというものもあるわけですから。

木暮 写真を撮ることは自分の色を出す「アート」だと勘違いしていました。客観とは意外です。

エドワード それは主観芸術と呼ばれるもので、どうしてもエゴが入りこみ美しくないのです。どちらかというと客観芸術の世界をイメージしてもらうと良いかもしれません。

木暮 IT業界には「自分たちが1番」みたいなエゴや過剰な自負が垣間見える企業もあります。私たちは企業間のプライドがぶつかりあう場所で働く機会も多く、その場の人たちをどう納得させるかに腐心します。

エドワード 対象を物質化させるためにはどうしても意図が必要なこともあります。でも客観だと気づきのポイントは高い。時間軸にもあまり左右されないのです。

木暮 人とのコミュニケーションで何か普遍的なものはありますか。

エドワード まずは話を聞く。好奇心がありますから。相手とはバックグラウンドも違いますし。即興的な場面も無いわけではありませんが、自分としては敬意を払っていますよ。

文化を伝える

木暮 書道家の武田双雲さんとカフェを手掛けられたご経験も。

エドワード 日米を往復する生活を続ける中、たまたま日本への帰国便の機内で読んだ記事に興味を持ち、面識がないまま個展のプロデュースを提案したのがきっかけです。家族ぐるみで付き合うようになった彼らと一緒に米国のオーガニック料理や自然派の料理を紹介する旅行をしたときの事です。虹が二重に見える光景に遭遇した彼がいきなり「レストランをやりたい」と言い出しました。彼の息子の希望で鵠沼海岸に出店することを決めると、とんとん拍子に物件も見つかってオーガニックカフェを始めることになりました。

鵠沼に出店した頃のエドワードさん
鵠沼に出店した頃のエドワードさん

木暮 展開が早い。

エドワード 早いですよね。彼も私と同じ「感謝人間」ですから、運営母体の名前は地球に感謝を、という意味を込めて「earthgrace(アースグレース)」にしました。彼とカフェをやっていると、賛同してくれる仲間が増え、発酵をキーワードにしたお店を浅草に出すことになりました。彼らの参画もあって今は東京・新宿にスパイスカレーの専門店のほか、農家直送の野菜とお弁当の販売店を麹町に出しています。

木暮 カレーとは意外。

エドワード スパイスの研究家でもありますから。私は「発酵人間」かつスパイス研究家。

木暮 インドのドライブインで食べたカレーがおいしかったのを覚えています。思い切って挑戦したのが良かったのか、おなかも壊しませんでした。

エドワード 国際派ですね。私も毎回無事です。衛生面なんて考えていたらコミュニケーションも取れないですよね。インドは特に、体に合うかどうかがはっきり分かれます。

木暮 みそ汁の専門店を出された理由は?

エドワード 新潟出身の母が作ったみそとか糠(かす)漬けを物心ついた頃から食べて育ってきました。幼いころから日本の古き良きDNAが体の一部になっていたので、みそは自分にとっては当たり前の存在でした。みそ汁は500年くらい前から具材や作り方が変わっていないとされ、世界に誇れる日本文化だと思っているのですが、なぜか脇役の扱いです。具材を多くすれば「一汁三菜」として完全な食事になります。こうした特長を世界にもっとアピールしたいと考えていました。出店先は観光客が多く、文化を伝える場所にふさわしい浅草に決めました。

 

浅草にあるMISOJYU
浅草にあるMISOJYU

 

木暮 新宿のお店で飲んだ豆乳と甘酒のブレンドにも感動しました。日本食の奥深さを感じます。派手さがなく地味な存在だったみそ汁をメーンにされたのは大発見ですね。

エドワード みそ汁は高度な食べ物ですよ。海外の3つ星レストランのシェフたちは、みそでステーキ肉をマリネするなど研究熱心で、積極的に「旨味成分」に注目する。日本のだし文化にも詳しい。味に敏感な人たちにとって、みそは宝なのだと思います。

木暮 今後やってみたいことは?

エドワード コロナ禍で海外に行く機会が限られ、これまで国内をほとんど回ってないことに気づきました。おかげで今は全国を巡りたいと思っています。食でいうと僕は「現地派」。生産者には必ず会いにいく。こだわって作られているみそもまだまだあり、それに合わせたみそ汁づくりにも興味はあります。生産者のネットワークを広げ、日本のいろいろな食材や良いものを紹介したいですね。職人気質の人たちですから、信頼を得るために何度も足を運びます。時間はかかりますが、それでもいいと思っています。(おわり)

 

TOP