【第35回】「直接得る情報を大事に」ネルソン水嶋さん

さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは、ベトナムでウェブ運営者や編集者として活躍後、現在は奄美群島を拠点に多文化共生や地域づくりの支援活動を続けるライターのネルソン水嶋さんです。

 

 

木暮 ユニークな活動をされていますね。

水嶋 やる内容が変わってきていますが、自分では進化しているつもりです。昨夏から拠点を奄美群島の沖永良部島に移し、ライターとしての取材・執筆とウェブメディアの運営が活動の柱です。2012年にベトナムで始めたブログからスタートし、いろいろな媒体へ寄稿するようになりました。現在は町の依頼で「地域おこし協力隊」の求人記事を書いたり、鹿児島県に移り住んだ人に取材に行ったりしています。地方移住をテーマにした紙媒体も結構あるんです。

 

 

ドリアンを身にまとい、ベトナムで交流する水嶋さん=本人提供
ドリアンを身にまとい、ベトナムで交流する水嶋さん=本人提供

 

 

木暮 ドリアンを身にまとって町を練り歩いたりして発信力があります。「ベトナムに恩返ししたい」という言葉が印象的です。

水嶋 恩返しできているのかは分かりません、ただの「エゴ」かもしれないですし、活動の動機づくりなのかもしれません。ただ、何かをやる時は目的があった方が頑張れるし行動に移せます。無意識に動機を作っているかもしれないですね。

木暮 やらないより、やったほうがいいです。

水嶋 ベトナムにいた頃は人の役に立てた実感がなく消化不良だったのですが、日本にいるベトナム人実習生が困っていることを聞き、経験が生かせるかもしれないと思いました。

 

木暮 イラストと2カ国語をプリントしたTシャツ「GINO-T(ギノティー)」が生まれたきっかけは?

水嶋 関係が良好な事例も多くありますが、雇用側の日本企業にとって実習生は「ベトナム人」よりも「日本語が話せない外国人」と見ているところも少なくない印象です。ベトナム人はベトナム語が話せます。それは日本人にとっての日本語も同じで両者は対等のはずですが、感覚では分かっていない人もまだまだ多い。イラストのレイアウトはベトナム語の上に日本語が配置されているというジレンマはありますが、ベトナム語が目に飛び込んでくるという意義はあります。ベトナム語の存在やベトナム語を話す、ということを感覚的に理解してもらい、対等であるという関係が分かるようにしたかったんです。

 

Tシャツ型コミュニケーションツール「GINO-T(ギノティ)」=本人提供
Tシャツ型コミュニケーションツール「GINO-T(ギノティ)」=本人提供

 

 

木暮 外国人という塊ではなく「個」として見るということですね。

水嶋 イラストも吟味しました。担当してくれたのは取材活動を通じて知り合ったベトナム人の漫画家の友人です。実力があるので日本で知ってもらいたかったのも、起用した理由です。書籍や単語帳など情報量が多すぎると現場で使ってもらえない可能性がありますが、実習で必要な単語に絞り、「生産性が上がる」という企業側のメリットも慎重に考えました。Tシャツの形にしたのは作業中も両手が使えて便利だからです。

 

木暮 ベトナムには明るく楽しい印象があります。

水嶋 いろんな人がいる中で、シャイな面も感じます。こちらが写真を撮っていても文句は言わないのに、撮影前に確認すると「ダメだ」という。撮られるのを意識すると途端に恥ずかしくなるのでしょうね。ドリアンを身にまとって歩くパフォーマンスはタイでもやりましたが、首都バンコクでは白い目で見られて恥ずかしかったですね。一方、ベトナムは都会に住むホーチミン市民も笑って反応してくれた。いい意味で見守ったり、こちらに絡んでくれたりするようです。

 

木暮 言葉の問題は?

水嶋 あまり話せません。ブログで発信していたおかげで周りには日本語が分かるベトナム人がいました。特殊な環境だったかもしれません。ベトナムが好きで現地採用された日本人や日系企業の駐在員までいろいろな人と知り合う機会がありました。

 

木暮 現地にうまく溶け込むにはどうすればいいでしょうか。

水嶋 好奇心を持つことです。たとえ知らないものに抵抗があっても、とりあえず踏み込んでしまえばいい。好奇心があれば、少しぐらい汚いと感じる路地でも入っていけます。案外、そうした路地裏におしゃれなカフェだったりおもしろいものが隠れていたりするんですよ。

 

木暮 未経験の出来事に面白みを見つけることはとても大事ですね。真冬の英国でガスヒーターの修理を頼んだら「対応できるのは2週間後だ」と言われ、交渉の闘志が湧いたことを思い出します。ベトナムから帰国されてから感じる事はありますか。

水嶋 ベトナムにいた頃の知り合いは日本留学経験があり、私よりずっと賢い人たちばかりで、計画性があってリスク回避もできる人たちだと感じていました。一方、帰国後に取材するベトナム実習生の多くは地方の農村部からほぼそのまま出てきた若者で、良くも悪くも「うぶ」で純粋。言葉の問題以上に意思疎通の難しさを感じることがあります。不思議なことに、帰国してからベトナムへの理解の幅が広がりました。日本では一部のベトナム実習生が起こす失踪事件や窃盗のニュースの印象が強く、ベトナムに対するイメージがメディアや又聞きの情報で固まってしまう。一番重要なのは、当事者から直接得られる「1次ソース」です。日本でも外国人は増え、これから世界は「ごちゃ混ぜ」になります。当事者から情報を得ないで、見聞きしただけで決めつけるのはこれからますます速くなる時代の変化に振り回されるばかりで、デメリットでしかない。

 

木暮 「個」を見る姿勢ですね。ベトナムのリアルな現実を伝える中で、1次ソースの重要性が分かるわけですね。

水嶋 社会の強さと個人の強さは反比例するように感じます。日本は社会インフラが完備されている。偏差値の高い大学に入るとか大企業に入るとか、「いい人生」にそれなりに沿っていれば社会が安定した暮らしを提供してくれた。一方、将来へのキャリアパスの支援はおろか、交通や流通が整備されていない国だと個人で頑張るしかない。日本も高齢化や労働者不足が指摘される中、今後は個人がたくましくなる必要があるでしょう。

 

木暮 個人の自覚が必要。

水嶋 社会に頼るところと個人が頑張る部分のバランスが変わっていくような気がします。個人が強くなるには「外国人」を経験するのもひとつの手です。外国人には社会インフラの恩恵に十分にあずかれないことがあります。ベトナムでは道の渡り方から注文の覚え方、携帯電話の利用契約など、初歩から覚えなくてはなりませんでした。

 

木暮 アウェーを経験すると今までの景色や感覚が変わりますよね。

水嶋  5年後をめどに世界各地にある日本人街を取材したいと思っています。南米ボリビアには沖縄移民が作った「オキナワ」という町があり、今でも正月の書き初めや夏の盆踊りの風習が残っています。世界中に点在する日本人街の歴史をひもとくと、どのタイミングで「日本」が海外進出したか分かるかもしれません。「移民」と聞くと、来日する外国人をイメージしがちですが、日本人にも海外移民の歴史があります。日本の生産力が下がっていく中で、今後は日本人が再び海外に出稼ぎに行く時代が来るとみています。日本人にある「移民としてのアイデンティティー」を探る旅を書き記し、読んだ人が感化されて海外に出てくれるようになると嬉しいですね。(おわり)

 

 

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