【第43回】「現場に顔を出す」深井芽里さん

さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは国際協力機構(JICA)や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の担当官としてアフリカの農村開発を支援する深井芽里さんです。(写真はいずれも本人提供)

 

 

木暮 アフリカでの生活が長いそうですね。

深井 ケニア赴任は3回目で合計6年ですね。セネガルにも8年ほど住みました。

木暮 大学進学先が米国だったのはご家族の影響ですか。

深井 インターナショナルスクールで学んだ叔父とは違い、父の仕事の関係で小学校から高校卒業まで茨城県日立市で過ごしました。中学生の時にオクラホマ州に短期でホームステイした経験などから、母の勧めもあって大学進学は米国を目指しました。周りが受験勉強する中、ひとりで留学の対策勉強をし、卒業式も欠席して2月から渡米しました。

木暮 当初はご苦労されたとか。

深井 渡米してすぐに入学した短大には地元の若者が多く通っており、外国人学生への差別もありました。「留学生と一緒はイヤ」とグループ活動を断られたり、課題の担当を押し付けられたりしたこともあります。英語にも苦労しました。今なら語学はツールに過ぎないと思えるのですが、当時は17歳で自分に自信もなく、英語をばかにされると落ち込みました。

木暮 私も英語では苦労しました。人格まで否定される感じですね、分かります。勉学以外では何かされていましたか。

深井 ボランティアとして老人ホームでのお手伝いをしていた他、大学では平和活動を行うサークルに属し、東ティモールの独立やボスニア紛争に対する支援をしたり、構内でケーキやクッキーを売りながら啓発用のチラシを配ったりしました。プラカードを持ってデモに参加して警察に怒られたことは、就職活動では内緒にしました。

木暮 海外で働きたいという感覚より、国際紛争や貧困問題をなんとかしなくちゃいけない、という使命感や捉え方はご家族のDNAなのでしょうかね。

深井 子どもの頃からボランティアは好きでした。おこがましいのですが、困っている人がいると何かしたくなります。問題が解決して喜んだ顔が見られるのが嬉しい。

木暮 私は就職した銀行で開発金融に関わりたかったのですが、そちらには縁がなく、結局マーケット関連の仕事をすることになりました。ご自身は国際関係の職業に携わろうと?

深井 意識し始めたのは大学在学中です。専攻は国際関係学なのですが人類学に興味があり、卒業論文ではフィリピン・ピナツボ火山噴火前後のアエタ族の暮らしをテーマにしました。人類学的な興味から、長い休みには国際ボランティア活動(NICE日本国際ワークキャンプセンターによる派遣)に参加して、3週間ほど現地で寝泊りしながら家畜小屋を作ったり、橋を架けたり、先住民族と一緒に植林したりしました。一緒に汗を流して問題解決するのが楽しくて。その頃から本気で開発に携わりたいと思うようになりました。

木暮 圧倒的な行動力ですね。職業として関わりたいと思うほどの魅力は何ですか。

深井 一緒に知恵を絞り、汗を流して達成感を共有するところです。もちろん、楽しい事ばかりではなく、いろんな人が共同作業をする中では揉め事もあります。ただ、それもみんなで工夫したり、誰かがリーダー格になって引っ張ってくれたりしながら解決します。旅行先としては選ばれないような場所まで入り込めるのも魅力でした。

木暮 それからアフリカへ。

深井 初めてのアフリカ体験はセネガルからです。開発を志すなら修士号は取ろうと、一度就職して資金を貯めました。就職したマレーシア政府の仕事も楽しかったのですが、2年ほど勤めてから渡英し、学位を取得後に青年海外協力隊としてセネガルに赴任しました。

 

セネガルの家族と10年ぶりに再会した深井さん(左から4人目)
セネガルの家族と10年ぶりに再会した深井さん(左から4人目)

 

木暮 現地はどうでしたか。

深井 人の表情が明るい。特に西アフリカの印象は全体的にそうです。陽気で人懐っこくて、しつこいくらいに話しかけてくる。東南アジアの都市と違いました。アフリカは路上の物乞いすら明るく、断ってもなお楽しそうに話しかけてくるなど、暗い雰囲気が全くなくて気持ちが良かった。ストリートチルドレンの子たちと顔見知りになってパンをあげたり、毎日あいさつするようになったりもしました。

当初の目的を常に意識

木暮 インパクトが大きかったようですね。国際協力に対する意識は学生の時から変わりましたか。

深井 自分でも怖いくらいに変わっていないのです。支援する立場や形態は毎回違いますが、基本的には業務の先に思い描く人のことを1番に考えています。そこにいる人の生活がもっと良くなるように。それだけです。自分の仕事が誰かのより良い明日に少しでも貢献できたら嬉しい。そこはぶれないようにしています。

木暮 活動を「知恵を絞る」という表現で紹介されていたのが印象的です。前向きに貢献できるか、の視点をお持ちで、その場の判断が成果に左右するところが魅力なのですね。

深井 その通りです。どんな事業でも、しっかりとしたプロジェクト目標や出すべき成果を決めて相手国と約束してから人を派遣します。達成するための方法については現地に行ってから細分化する。プロジェクトは「生もの」とも言われるように刻々と状況が変わります。現地政府の人や裨益者になる人たちと対話しながら進め、変更や修正を繰り返します。フレキシビリティ(柔軟性)やアイデアと行動力、さまざまな人たちからの協力などいろいろな要素を加味しながら、果てしなく考えてトライできる。問題解決が好きなゲームマニアの方にも向いている気がしますね。ゲームの「ステージクリア!」の感覚です。

難民キャンプで聞き取り調査する深井さん(右から2人目)
難民キャンプで聞き取り調査する深井さん(右から2人目)

木暮 IT開発の現場とも似ていますね。プロジェクトごとに異なるメンバーの士気を高めたり、同じ方向に向いてもらうために時間を割いたりします。普段はどのようにマネジメントされるのですか。

深井 大事にしているのは「この活動は何のためか」という目的やビジョンを定期的に再確認することです。うまくいかないとやる気が下がる人もいるため、到達しやすい目標を作って壁に貼って視覚化したり、小さな達成をみんなで喜んだりします。全員が同じ熱量でやるのは難しいですから、できるだけ多くの人がモチベーションを保てるように考えています。

木暮 長期プロジェクトではメンバーが交代したりして目標を見失いそうなこともありますから、目標設定は大事ですね。小さな達成をチームで共有するのは良いことですね。

深井 自戒も込めて、メンバー全員で思い出す感じです。今の仕事は自由に裁量に任されていて、探っている段階です。農業投資促進という目的に向かって、農業省のみならず複数の関係省庁、団体と調整しながら進めることは難しい面もありますが、いろんな人と一緒にやらなければ目標は達成できません。

木暮 お仕事で大切にしていることは?

深井 その場に顔を出すことです。協力を得たいときは、自分で出向いて支援を求める。頻繁に連絡を取り、相手をリスペクトする。どんな人にも敬意を持って対応する。それから、大げさなくらいに褒めることも意識しています。優秀で行動力もあるケニアの人たちにはいつも感心させられます。心からの感謝の気持ちを伝えるときは、称賛したい部分を具体的に伝えながら「You are the star!」と加える。いい人間関係を築いていくことですね。

木暮 まず感謝を伝えるくせをつけると、相手の長所を再認識できる。感謝されれば嬉しいし、がんばれるものですよね。こちらの要望を指摘しなければいけない場合はどうですか。

深井 はっきり論理的に伝えつつ、人間関係を壊さないように最後は相手への応援と感謝のメッセージで終えることです。

木暮 現地での活動に携わるご自身を「よそ者」と表現されていました。

深井 人類学を学んだ経験から、自分はよそ者であることをしっかり意識したいと思っています。人類学者は勝手に現地のことを書いたりせず、よそ者と自覚しながら記録します。開発事業には期限があり、参画する自分は外国人。何かをお手伝いする役割であって、主役は自分ではありません。提案の内容に自信があっても、3年後はどうなるか分からないわけですし、本当にやりたいかどうかは現地の人たちが決めることです。役割はアイデアの触媒。提案の押し付けにならないように気をつけたいという意味です。

木暮 今後は?

深井 初めてのセネガルで携わった仕事がすごく楽しくて「一生、村落開発普及員でいたい」と思いました。現地に住みながら地域を良くすることが好きなのです。これまで20年ほど海外でやってきましたから、次は日本に移住して挑戦してみたいですね。(おわり)

TOP