【第20回】「ギブアンドテイクの視点で」北尾敬介さん

さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは、30年近い銀行員生活の半分以上を欧米など海外で過ごされ、現在はミャンマーで邦銀のヤンゴン支店長を務める北尾敬介さんです。

 

 

 

 

木暮 外国為替専門銀行でスタート。

北尾 赴任したのは東京の人形町支店。下町の風情は海外に強い東銀のイメージとは違っていました。希望がかなって2年目から為替資金部に配属されました。よく言えば当時は何事にも寛容な時代だったこともあり、上司や先輩の指示に従って朝早くから夜遅くまで仕事に明け暮れました。大変な時期でしたが、入行4年目でロンドン行きが決まり、初の海外赴任を経験。3年ほど滞在しました。

 

木暮 帰国後に転機が。

北尾 東京で外国為替のディーリングなどに携わったのち、2003年に転勤した大阪支社で初めて営業を担当することになりました。大企業取引の主担当として銀行のネットワークを通じて営業するのはスケールが大きくて面白かったです。

 

木暮 海外志向はいつごろから?

北尾 写真の仕事で海外に出張することが多かった父親から現地の話をよく聞かされ、外国を身近に感じながら育ちました。高校生の頃に豪州に1年間交換留学したのが、自分にとって初めての海外との出会いです。豪州の田舎の学校に「ポツンとひとり日本人」という状況の中、コミュニケーションの基本を学びました。

 

木暮 初の海外。

北尾 最初は英語で苦しんだのですが、幸いバイオリンが弾けたので友人らとカントリーミュージックのバンドを組みました。共通の趣味を通じて仲間ができ、自分の「居場所」がつかめました。海外留学中に「日本人」というアイデンティティも芽生えました。

 

木暮 外国で苦労した思い出は?

北尾 米国に駐在した頃は試行錯誤した記憶があります。日本の親会社と現地子会社を調整する「リエゾン」として赴任したのですが、自分の立ち位置がつかめていなかったのです。ベルギーにいた頃は、上司である自分と接する現地スタッフの方が気を使ってくれましたが、米国はそうではありません。親会社からやってきた日本人だが上司ではない。そうした立場で彼らと仕事をするための工夫をしました。ワイン造りや映画製作への融資など、日本ではなじみのない案件への理解を深めるべく担当者に直接話を聞きにいって情報収集する。部外者である親会社の銀行員に話をしてもらうために常に気を付けていたのが、自分が持っている情報を与えるからあなたの情報をください、という「ギブアンドテイク」のスタンスです。「こいつは誰だ」と思われている場所で受け入れてもらうのは簡単ではありませんでした。仲良くなるには彼らにとってのメリットを考えることが必要です。ビジネスをしている人にとっては当たり前の話かもしれませんが、それまでは銀行員としてその発想はありませんでした。

 

木暮 突撃するスタイルが効果的だった。

北尾 常に現場主義です。ウィーン駐在時に各国の投資庁で要人と面会する際もギブアンドテイクを意識しました。銀行が直接投資するわけでないが、銀行の取引顧客が魅力を感じれば投資につながる、というストーリーを売り込むことを心掛けました。中東欧への投資を検討している自動車部品メーカーに正確に魅力を伝えるため、足しげく現地を訪問しました。欧州から日本に出張した際も、電気自動車(EV)の時代の到来を見据えて突撃に近い形で電池メーカーに営業に行ったりもしました。

 

木暮 欧州の風土に地域性を感じた。

北尾 欧州は生活水準が豊かなのか、ベルギーの人はワークライフバランスをきちんと分けていました。職場の平均年齢も50歳を超え、金融業界で勤続年数の多い人が残っており保守的だった印象があります。同じ欧州でもウィーン駐在時に採用していたハンガリーやルーマニア出身者は上昇志向が強いように感じます。ベルギーでは洗濯機の配達をすっぽかしたのに、こちらが抗議しても「届けにいった」で押し切ろうとする電気屋さんがいた一方、ウィーンでは遅れる時は電話で連絡を入れてくる人もいて「お国柄の違い」を感じる場面もありました。

 

木暮 ミャンマーの印象は?

北尾 同じアジアの仏教国で、日本に対するリスペクトに驚きました。今思うと、欧米人は日本人をどこか下に見ているところがありました。そうした経験がある分、外国人が現地の人に尊大に振る舞ったり、失礼な態度をとったりしているのが気になります。こちらで偉そうにしている日本人もまだまだいます。

 

木暮 残念ですね。

北尾 ミャンマーでは非常に厳しい環境で暮らしている人たちの存在も目の当たりします。そうした暮らしぶりが垣間見える中で、全ての人を一律同じように見ることを難しいと感じるのも正直なところです。葛藤というか、自己嫌悪もあります。

 

木暮 インドに初出張した際、滞在したホテルからトタン屋根の家屋や裸足で走る子どもたちが見え、国に対して自分なりにどう貢献できるのか考えたことを覚えています。現地の人との接し方で気を付けていることは?

北尾 ミャンマーの人は人当たりがいいのですが、すごくシャイでなかなか本音を言わない。不満もあまり口にしないため、職場を辞めるまで気付けず、急に去るように感じてしまいます。何を考えているかを聞き出すのが難しい。まず聞くこと。

 

木暮 銀行が決めた赴任地で外国からの投資を誘致。

北尾 思いもよらないような国への転勤で、辞令を受けたときは戸惑いもありました。しかし、実際に暮らしてみるとミャンマーは治安も良く、宗教的な食生活の不便も感じない、本当に住みやすい国でした。銀行マンとして国の発展に尽くすという観点で仕事ができるのはありがたいです。

 

木暮 現地を好きになる努力も。

北尾 魅力を探すために、国内のいろんなところに足を運ぶようにしています。最近は現地の日本人社会にも積極的に関わるようになりました。先日もミャンマーでの緊急手術を余儀なくされた邦人の支援を呼び掛けたところ、すぐにソーシャルネットワーク(SNS)を通じて援助の輪が広がり感動しました。そうしたコミュニティに携わるのも大事ですね。(おわり)

 

 

TOP