【第21回】「話をよく聞いて信頼してもらう」我謝京子さん

さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは、テレビ東京からロイターの報道記者に転身したジャーナリストの我謝京子さんです。

 

 

 

 

木暮 ニューヨークから経済情報を発信。

我謝 大学を卒業してテレビ東京に入り、「ビジネスマンNEWS」という経済番組を担当後、ドキュメンタリー番組を数多く手がけました。設立から間もないBS放送局「BSジャパン(現BSテレビ東京)」の営業支援をしていた頃、テレビ原稿の執筆から番組製作まで1人で何役もこなせる人を探していたロイターから声が掛かりました。転職して2001年に渡米してからはずっと記者として活動しています。米国から日本語でニュースを発信していた時期もありましたが、10月からは全編英語で配信しています。

 

木暮 ドキュメンタリー制作も。

我謝 ニューヨークの職業別組合である「ニュースギルド」に所属し、ロイターでの副業が認められており、今でも自分がこれだと思ったテーマを掘り下げて自主映画を作っています。渡米から半年後に起きた9・11(全米同時多発攻撃事件)で被災したため、映画制作よりも毎日生活するのが大変で、ようやく映画を作り始めたのが3年後。そして完成したのは、それから4年、映画を作り続けることで「私の心も徐々に復興していったのだ」と完成した映画を見て気付きました。「ドキュメンタリーは作り始めるのは簡単だが、完成させるのが難しい」と言われます。そこで私は何年も関わっていくことになるテーマを探すうちに、被災した当時に助けてくれたニューヨーク在住の日本人女性たちのことが頭に浮かびました。なぜ日本を飛び出しニューヨークで働くのか、そこに罪悪感はあるのか──。取材を始めると、彼女たちは自分の人生を母親の人生と比較して話します。そこで、この映画の横糸はニューヨークで頑張る日本女性たち、縦糸は、私の母、私、そして娘の3世代となっていきました。こうして、まるでタペストリーのような長編ドキュメンタリー『母の道、娘の選択』は完成したのです。ありがたいことにニューヨークの映画祭で賞をいただき、配給会社も付いて今でも、この映画は米国で女性学やアジア研究の教材として使われています。その後も東日本大震災からの女性たちの心の復興をテーマにした作品や日本にルーツを持つと言われる、名字が「ハポン(日本)」のスペイン人たちを取材した短編を完成させました。

 

木暮 海外で映像づくりを始めたきっかけは?

我謝 海外に行きたいDNAがあったのでは、と思うことがあります。物心がつく前から外国を意識していたという話を母から聞きましたし、茶道や伝統舞踊など日本文化を大切にする家庭環境で育ちながらも、おしとやかにはならず、高校時代は生徒会長として皆が飽きないで笑いも取れる演説を考えるような、前に出て自分の体を通して表現することが好きな生徒でした。米マサチューセッツ州立大学アマースト校に大学3年で留学した時にテレビ報道に関するドキュメンタリーを授業で見て、興味を持ち、帰国後はテレビ業界に進みました。そこで、番組を製作して伝えることの素晴らしさを学び、いつの日か日本国内だけでなく「世界に伝えたい」気持ちが強くなった感じです。

 

木暮 映画も。

我謝 映画とは、それぞれの人の人生の経験によって見え方が異なる「生き物」だと世界各地で上映する中、思うようになります。1人の人でも人生のどの時期に見るかで同じ映画が全く違う映画に見えることがある。両親も映画業界に勤めていたことで、撮影スタジオの存在や8ミリフィルムなどの機材は子どもの頃から身近にありました。

 

木暮 映像作品は監督の力量で差が。

我謝 取材をしていると思い込んでいる私たちが実は相手から「取材」されているのです。聞く側の印象が悪ければ、伝えたいことの10分の1しか話してもらえない。逆もそうです。お話をうかがった人が別の人の取材には全く違う内容の話をするのを見たことがあります。結局、取材は「写し鏡」だと感じています。

 

木暮 ITコンサルも相談相手に値踏みされている。信用を得るには?

我謝 取材相手からは「聞き上手」だと言われることが多いです。お話を聞きに行っているはずなのに、やたらしゃべってしまう記者も多い。事前に作った予定原稿に合うように話を進める記者もいますが、そのような効率性を重視すると良い映画も良い報道もできないと思うのです。私はあくまでも現場主義です。現場でストーリーを見つけるのです。また、取材相手の緊張をほぐして、話しやすいような雰囲気を作ることも大事だと思います。

 

 

木暮 何事に対しても立場が偏りすぎない印象。

我謝 毎回どんな素晴らしい出会いや言葉があるかなと期待し、取材をするとき大事なことは、分からないことは分からないとはっきり伝えるようにしています。若い人たちには「知ったかぶりをすると、間違える、落とし穴がある」と話しています。落とし穴はどこにあるか分からないから自分を信用しすぎない方が良い。人は間違えるものだと思って全て確認するぐらいでないといけません。

 

木暮 会員制交流サイト(SNS)があれば報道はいらないという意見もあるが、事実確認が大事。

我謝 自分が見たことや経験したことを事実確認なく、誰でも投稿できてしまう時代だからこそ、プロによる報道は、より一層大事だと思います。だからこそ、いつも自分の報道や特集には最後まで恐ろしさを感じます。間違いはないのか、これで良かったのかと。何度取材しても、この怖さは消えません。

 

ニューヨークから情報を発信する我謝さん=Tony Balone氏提供
ニューヨークから情報を発信する我謝さん=Tony Balone氏提供

 

 

木暮 怖い?

我謝 報道の世界には、締め切りはつきものです。限られた時間の中で「どう表現したら伝わるか」と努力を日々重ねています。30年間やってきましたが、まだまだです。この仕事を続ける限り「この表現でよかったのか」という怖さや緊張感がある。そう感じなくなったらもう辞めた方がいいと思って、日々働いています。

 

木暮 責任感。

我謝 自分は人間なので間違えることが、よく分かっています。だから怖い。だから努力する。

 

木暮 コンサル業界にも「天狗」になりがちな人はいる。心掛けていることは?

我謝 独りよがりにならない。自分の意見は押し付けません。いろんな意見があるのが世界です。さまざまな意見を聞くのが仕事だと思っています。

 

木暮 映画は違う。

我謝 ドキュメンタリー作りも同じで、自分の意見を押し付ける映画は苦手です。答えがある映画より、見た人それぞれが、それぞれの人生を振り返り、考える映画がいい。スクリーンに出ている人が観客と会話できる映画を作ってきたし、今後も作っていきたい。

 

木暮 コロナ禍でコミュニケーションスタイルに変化も。

我謝 電話やビデオ会議でやり取りすれば、主張の中に「落としどころ」が見えてきます。メールやチャットツールの文面は、その時の自分の感情で読んでしまいがちです。今だからこそ、少なくとも声、できれば表情も見えるやりとりをしたい。

 

木暮 日本語だとはっきり言いづらい。

我謝 私は英語の方が、自己主張しやすいです。使う言語だけでなく、場面に合わせて自分を変えられる「カメレオン」のようになることが国際人への近道と感じます。現場でどの自分を出せばいいか瞬時に判断できるようになりたい。

 

木暮 秘訣は?

我謝 場数を踏むことや自分の直感を信じることでしょうか。それに取材は一期一会。同じ人にはもう聞けないかもしれないと思って臨んでいます。たとえお茶くみの仕事でも、おいしく出せれば何かのきっかけになるはずです。茶道をしていて感じることです。そして、子どもを産んで育てて、いろんな世界の人と話す中で、世の中は白黒はっきりしない「グレー」の世界があるからこそ面白いと思うようになりました。

 

木暮 白と黒の中間を探る。

我謝 中間ではなくて、いろんな色や考え方があることを認めて、驚き、楽しんでいます。米国で仕事をしていて励まされることは、家庭を持って子どもを生み、孫もいる女性たちが、大統領候補や中央銀行のトップである連邦準備理事会の議長や財務大臣、最高裁判事にもなれるということです。私も固定した価値観に縛られず、90歳、100歳と現場主義で、のびのびと頑張っていきたいです。(おわり)

 

 

 

 

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