【第27回】「相手に合わせた伝え方を」松田励さん

さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは、IT業界から転身して戦略コンサルタントとして活躍後、東南アジアでホテルビジネスに目覚め、現在はタイ・バンコクなどでエコノミーホテルチェーン「ココテル」を経営する実業家の松田励さんです。

 

 

 

 

木暮 キャリアのスタートはNECだったそうですね。

松田 2000年に新卒で入社したのですが、志望していたシステムエンジニアや営業職ではなく、本社の経営企画部門で勤務していました。恥ずかしながら1年足らずで辞めてしまいました。その後、日本市場に進出したばかりの米国系ITコンサルティング会社に就職したものの、ITバブルが崩壊し、2年ほどで会社は解散してしまいました。

 

木暮 その後はベンチャー育成と戦略コンサルティングを手掛けるドリームインキュベータに。

松田 勤めていた会社が無くなってしまったところを「拾って」もらい、6年ほど働きました。業界としては通信や金融分野の戦略コンサルティングの仕事が多かったのですが、06年にマレーシアで不動産の新規事業に関わり、初めてホテル業界を知りました。東南アジアで仕事をするのも初めてでしたが、そこで感化されたわけです。

 

木暮 どんなところに引かれました?

松田 「これはエンターテインメントビジネスの延長だ」と感じました。もともと映画やスポーツマネジメントのビジネスに興味があったのですが、なかなか実際に働く機会は無く、「モラトリアムの20代」を経て、ようやく全力を注げるものにたどり着いた感じです。「ホテルはエンタメだ。遊び心のあるホテルを作れば目立てるに違いない」と。

 

木暮 そこから行動が早かった。

松田 ホテル経営学で世界的に知られる米コーネル大学を志望しました。シンガポールのナンヤン工科大学とも提携しており、シンガポール政府からの奨学金を利用して両校に半年間ずつ留学しました。クラスメートはホテル業界を目指す人ばかり。同じ世界で仕事をしようとする人たちが各地から集まり、寝ても覚めてもホテルの話をしている環境は刺激になりましたし、アジアから留学するホテルオーナーの子息との人脈もできました。

 

木暮 卒業後は?

松田 なかなかスムーズにいきません。国費留学生の場合、シンガポール国内で3年間働かないと奨学金は返納です。世界的なホテルチェーンのアジア本社でインターンとして懸命に働きましたが、リーマンショックの影響で正社員への道は険しく、結局就職はできませんでした。グローバル本社がアジア本社に対してリストラを通告し、目の前でアジア本社の社長が解雇される厳しい現実も目の当たりにしました。路頭に迷いそうになっていたところ、運よく日系金融企業の現地法人に就職し、その後もドリームインキュベータの現地法人設立などに携わりました。その後、以前に1度だけお会いしたことのあった人材サービスなどを手掛ける「エス・エム・エス」創業者の諸藤周平さんと再会しました。彼が設立したばかりだった投資会社のREAPRAの出資により、ホテル分野で創業する話になりました。当時の中国ではエコノミーホテルのチェーンが隆盛を極めており、同じモデルを東南アジアでも展開できるのではないかと考えました。

 

木暮 チャンス到来。

松田 アジアでの進出先はバンコクに決めました。タイには全くなじみがなかったのですが、「ホテルを保有しているが自分では運営したくなくて困っている」というホテルオーナーさんがたくさんいそうだと思ったのが理由です。

 

木暮 土地勘もつてもない。

松田 幸い資金だけはあったので何とか持ちこたえられました。当初は建物を賃貸する直営の形で4カ所の宿泊施設を開業できましたが、何ひとつ思った通りにはいきませんでした。

 

木暮 印象的なことは?

松田 第1号店をオープンする時が大変でした。納入業者に対するカルチャーショックです。確かな仕事をする人が少なく、ほとんど納期が守られません。日本と違って名刺を印刷するのにもなかなか出来上がらないなど、毎日が驚きの連続でした。

 

木暮 解決できましたか。

松田 開店時期は半月ほど遅れ、お金を余計に払うことになりました。当時は自分に知識がなく、それぞれの部門で専門家に頼らざるを得ませんでした。いま思えば、最初は全てゼロから作りあげるため、足りないことだらけだったのです。

 

木暮 不信感は?

松田 タイに対してはありません。それまでは金融やIT業界で優秀な人たちに囲まれていたため、環境の変化に戸惑ったというのが正直なところです。頭では分かっているつもりでしたが、イライラしたことがありました。「あとはよろしく」で伝わっていた世界から、これからは以前の10倍ぐらい説明しなければいけないことを実感しました。

 

木暮 かみ砕いて話す。

松田 自分が話した内容を覚えておくことも大事です。文書で確認しながら指示したり、メールで伝えたりします。ただ、メールの返事が来ないのは自分の責任です。返信してくれる相手かどうかを踏まえたコミュニーション方法を選ばなかったことや、返答が欲しいことをはっきり伝えていないのが悪い。メールの返信がなかなか来なくて腹立たしく感じるのは自分が傲慢(ごうまん)だからです。当初はそれに気付けませんでした。

 

木暮 タイでは良い意味の驚きも。

松田 団結力です。タイには「火事場のばか力」のような土壇場での爆発的なパワーがあります。最終的につじつまを合わせる不思議な調整力があり、新規出店のたびに「文化祭」のようになります。

 

 

従業員に囲まれる松田さん(前列右から3人目)=本人提供
従業員に囲まれる松田さん(前列右から3人目)=本人提供

 

 

木暮 プロジェクトマネジャーは文化祭の実行委員のようなもの。開店は印象的な瞬間ですね。

松田 ホテルというのはオープンした後も継続するビジネスで、プレゼン、交渉、契約締結、開業準備、運営、継続改善、とプロセスが続きます。相手をプレゼンでうならせることに重きを置いていたコンサル業とは違いますね。

木暮 続ける理由は?

松田 自分が言い出したビジネスで、すでにいろんな人を巻き込んでいます。200人以上の従業員という仲間と一緒にやっており、「やめた」とは言えません。それに、この世界が向いているのだと思います。タイで働く外国人という「社会のアウトサイダー」でいることが心地よいこともあります。日本人同士だと期待が高くなってしまう半面、外国人だと思うと腹も立ちません。「相手のことは分からない」のが前提だと、理解し合えた時は本当にうれしい。お客さまにどう喜んでもらえるかを考えることも好きです。ホテル運営業は、対ホテルオーナーという「B2B」ビジネスの側面もあれば、対利用客という「B2C」ビジネスの面白さもあります。6年ほど事業を続けてきて、ようやくホテル運営の要諦のなんたるかが分かってきた。創業当初はあまりにも自分に知識と経験が無くてスタッフに丸投げせざるを得なかったものが、今になってやっと運営が自分に返ってきてくれた感覚です。(おわり)

 

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