さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは外資系食品メーカーから人材育成業界に転職。コンサルタントを経て現在は東南アジアを拠点にサービスを展開する人事コンサルティング会社「Asian Identity(アジアン・アイデンティティ)」の代表を務める中村勝裕さんです。
木暮 上京するまで海外とは全く縁がなかったそうですね。憧れがあったとか。
中村 愛知県の漁師町で生まれ育ちました。今は中部国際空港がありますが、当時はまだありませんでした。高校時代の英語の先生が熱心な方でその方に影響され、英語が流暢に使えるようになりたいと思ってラジオ講座を聞き続ける毎日でした。
木暮 大学ではドイツ語を専攻されています。
中村 英語はどのみち勉強するしかないなあと思って、あえてほかの言語を研究したいと思いました。クラシック音楽がかなり好きだったので、ドイツ語に興味を持ちました。大学時代はドイツ語を生かしてNHK語学講座で番組のアシスタントディレクターとして出演者にカンペ(進行指示)を見せたり、ドイツ語の文字起こしをやったりしました。
木暮 本格的な仕事ですね。大学からドイツ語を選ばれ、学生生活ではドイツ人と直接を話すなど周りの環境が変わってきた。
中村 在学時にはドイツ・ミュンヘンに短期留学もできました。驚いたのは教会で毎日ワンコインの料金で聞けるクラシック音楽の演奏会が開催されていることでした。聴衆の反応も日本とは違う。小さい頃から音楽の聞き方が自然な形で染みこんでいる。それが文化なんだなと思いました。
木暮 ご自身でも楽器は?
中村 クラシックギターを弾きます。在学中は弦楽四重奏をクラシックギターに編曲した演奏をしたり、先生に習って指揮のレッスンを受けたりもしました。いま思うと指揮法は経営者の意識につながる部分があるんです。
木暮 指揮者の経験が経営者と関係する?
中村 どちらも「ビジョンを伝える」のが大事なんです。同じ楽譜を扱っても、指揮者と演奏団体によって表現は異なる。つまり楽譜から読み取っている「ストーリー」がそれぞれ違うわけです。指揮者は、演者が同じ情景を思い浮かべやすいように演奏に息を吹き込む。指揮者の伝え方次第で、演奏は格段に変わります。経営でいうと「モノを売るのではなく、ストーリーを売る」という考え方に通じますよね。例えば、コーヒーカップを売るのではなくて、コーヒーカップが作られたときの思いを語る。そうすれば社員のエンゲージメント(関わり)も変わります。当時は理解できていませんでしたが、音符にストーリーを込めることが大事だったんですね。
木暮 確かにそうですね。
中村 もうひとつの共通点は人の動かし方です。練習を休みがちの仲間に「君がいないと困る」と伝えて誘ったり、チームワークを作るのも指揮者の仕事です。面白いのは、音楽がハモるのは演奏中にお互いの音を聞いているときなんです。ほかの演奏者とアイコンタクトすることで一体感が出る。指揮者だけ見るのも良くないんです。仕事上のチームワークも同じですね。
木暮 振り返ってみると気付くことがありますよね。
中村 はい。当時はそうした深さに気づいていたわけではありませんでした。後から内省し、振り返ることでより深い意味に気付ける。経験を積むことで解釈する力が上がっているからだと思います。そうやって内省を通じて成長していくことが大事だと思います。
シンガポールで開眼
木暮 大学卒業後は世界的な食品メーカーに就職されていますね。
中村 語学力を生かし世界で活躍したいという思いで入社しました。国内の商習慣などに戸惑うこともあったものの、ビジネスの基礎を学べる貴重な経験でした。 やがてもっと仕事を通じて自己表現をしたいという思いが募り、人事組織コンサルティングを行うベンチャー起業に転職しました。当時はベンチャーの波が押し寄せていて、入社した会社も勢いがあり、自分に合っている職場だなと思いました。人間的なコミュニケーションと論理的なコミュニケーションがベースになっていて、本音で話す文化がありました。
木暮 ビジネススクールなどを展開する会社に移籍します。
中村 仕事は充実していましたが30歳になり、英語を使う機会をもう1度持ちたいという思いがあり転職しました。入社後はシンガポール法人の立ち上げメンバーに選んでいただいて、海外勤務の道が開けました。
木暮 それまで蓄積していた思いが解放されたのでは?
中村 そうですね。現地でネットワークを広げたり、いろんなものをゼロから作っていく仕事が非常に楽しかったです。シンガポールは外国人にとてもオープンな国で、規制などが少なくビジネスが思いきりできる土地柄だったこともあり、初任地としては最適な環境だったと思います。
木暮 シンガポールでの経験が現在のお仕事のきっかけにもなったとか。
中村 現地でのチャレンジを楽しんでいましたが人事異動で帰任することになりました。ただ、ゼロからビジネスを立ち上げていく楽しさがどうしても忘れられませんでした。物おじしない積極的な態度を現地の人から「日本人らしくないね」「You are a new Japanese.(君は“新日本人”だ)」と言われたときは感慨深いものがありましたし、自分がやるべきことがここにあるのではないかと思いました。
木暮 従来の日本人とは違うと見られた。
中村 世界で勝負する日本人の1人として「海外で挑戦することを通じて日本人のプレゼンスを高めたい」と思うようになってもいました。
ハーモニーを作る
木暮 タイに拠点を作ります。
中村 シンガポール赴任時代から、タイも頻繁に訪れていました。日本とタイは歴史的にはとても良好な関係ですが、一方で独特な文化と言語が理由となって、日系企業の組織ではタイ人との関係がうまくいっていないケースが散見されました。中にはそれが何十年も続いていることもあった。衝撃を受けましたが「溝を埋めるためになんとかしたい」と思ったんです。
木暮 どう解決したのですか。
中村 お互いの本音を言える「対話」の場を作りました。日本人の経営トップに会社に対する思いやビジョンを語ってもらう。普段は言語の問題やコミュニケーション不足が理由でそうした思いは意外と伝わっていません。同様にタイ人にも自分の思いを伝えてもらう。心を開いてお互いの思いを交換することで相互理解ができ、ハーモニーが生まれる。
木暮 どんなときでしょう。
中村 車座になったり、ペアワークで話す中で「きょうは本音を話せる」という空気が広がります。タイの参加者から「昔は良い会社だったが、この数年は変わってしまった」「こういう場がもっとあれば、辞めずに済んだ人がたくさんいた」といった本音が出ます。日本人経営者も「そういう意見が聞きたかった。今までそれに向き合えなくて反省している」という素直な感想が出る。心がつながった瞬間でもあります。
木暮 素敵な仕事ですね。
中村 美しい時間です。いつもうまくいくとは限りませんけどね。ただ組織の関係性というのは、往々にして「ボタンの掛け違い」が起きているだけなんです。タイには企業ロゴの入ったポロシャツを作るなど勤務先に愛着のある人は多い。所属組織にアイデンティティーを重ねる国民性だと思います。反面、会社への情熱がある分、気持ちが離れるときの反応も大きい。そうした特性は昔の日本人に似ていると思います。
木暮 うまくいっている組織に共通するものはありますか。
中村 社員が企業理念を深く理解している組織は強いです。タイ企業の中にもミャンマー出身者など外国人が増え、アジアの経営はどんどんボーダーレスになっています。そうした中では共通のコンテクスト(文脈)がないと組織はバラバラになりやすい。思いやストーリーが込められた企業理念を繰り返し語り、対話しあう習慣を作ることが大事です。この行為は、1度で完結するものではなく、植物の水やりのように定期的に行わなくてはいけません。
木暮 今後は?
中村 コンサルティング会社は、言行不一致ではいけないと思っています。それゆえ「Show by example(範を示す)」ことを常に意識する会社でありたい。まずはメンバーとともに、自分たちが「アジアにおける良い組織のあり方」を体現することで、マーケットにメッセージを送り続けます。起業家としては、現場を大事にしてクライアントのリアルな悩みに常に寄り添えるようなコンサルタントでいたいです。ビジネスとしては、特定の要望に寄り添った「個別性」を提供する一方、多くの人に当てはまる「再現性」とのバランスをとったハイブリッド型を重視しながら、事業ポートフォリオを組んで広げていきたい。最終的にはすべてリーダーの姿勢次第だと思っています。組織には必ず衝突や摩擦が生まれます。摩擦とは、ものの見方の違いによって起きます。リーダーが柔軟に視点を変えながら問題に対応できるか。組織に存在するさまざまな「違い」に尊敬と感謝の念を持てるかが重要です。(おわり)