さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」今回のゲストは動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」で日本と台湾のグルメや文化を紹介するエンターテインメント番組「三原JAPAN(サンエンジャパン)」を配信して台湾で活躍する人気ユーチューバー、村上淳也さんです。(写真はいずれも所属事務所提供)
木暮 社会人になってからSNS(会員制交流サイト)で日本文化を発信し始めたそうですね。
村上 就職活動の関係で留年した大学には5年間お世話になりました。学生時代は演劇サークルに所属しており、人前に立って表現するのは好きでした。ユーチューブを一緒に運営している三原慧悟くんはサークルの後輩です。大学では演劇活動をしながら、彼が監督しコンペに出した作品に出演したり、自分たちで映画の上映会を開いたりしていました。卒業後はそれぞれ別のテレビ局に就職しましたが、どちらもコンテンツ制作ではなく営業関連の部署に配属されていたので、お互いに「映像を作りたい」「舞台に立ちたい」とくすぶる気持ちがありました。仕事をしながら映像制作は続けており、もっとたくさんの人に見てほしいと思っていたところ、彼がフェイスブックで動画を投稿するようになり、私も加わりました。初めは日本人向けです。当初は再生数を増やすことだけを考えていたため、過激なタイトルやあざとい演出が多くなったりして次第に意義を感じられなくなりました。それよりも、もっと喜んでもらえて、人の役に立つようなコンテンツを作りたいと思うようになりました。
木暮 会社を辞める時の周りの反応はどうでしたか。
村上 入局した早い段階で三原くんからは誘われていたのですが、自信がなくて2年くらい会社を辞められませんでした。本業が忙しくなって創作活動がしづらくなったこともありますが、人気バラエティ番組にアシスタントディレクターとして携わるようになり、そこで活躍する芸人さんや出演者を見ていてうらやましく感じたのも退職を決めた理由のひとつです。両親には泣かれましたが、今は台湾での活動を見て応援してくれています。
木暮 台湾に目を付けた戦略が成功したわけですね。
村上 留学したことのある三原くんが初めて海外で仲良くなれたのは台湾出身の方だったということもあり、台湾人を意識したコンテンツにだんだん変化していきました。日本で見られる奇妙な表現をはじめ、コント形式で日本の文化を発信するよう内容をシフトしました。日本人は旅行先として台湾の豊富な情報を手に入れられますが、台湾で入手できる日本の情報は少なかったのだと思います。台湾は日本に関心を持っている人が多いのでわれわれにはラッキーでした。三原くんが戦略的に意図した部分もあったのかもしれません。台湾で最も影響力のあるメディアだったフェイスブックで評判になり、認知度が上がっていきました。
木暮 中国語で作り始めたのですか。
村上 当時は全く話せません。日本語の動画に中国語字幕を付けるスタイルで始めました。幸運だったのは、台湾のクリエーターの間では映像に字幕を付ける文化があったことです。
木暮 撮影は現地で?
村上 当初は日本で作りました。近くの公民館など場所を借りて、友だちを集めて助手として参加してもらいカメラ1台で撮りました。
木暮 台湾に進出する前から海外に興味はあったのですか。
村上 どちらかというと苦手意識を持っていました。社会人になるまで海外に行ったことはありません。友人に同行して台湾旅行したのが初めてです。
木暮 初めての印象は?
村上 怖かった。「日本ほど治安の良いところはない」という意識が強すぎて。言葉も分からず、仲間とはぐれないように注意しました。緊張して現地でのフットワークも重かった。台湾向けにユーチューブの配信を始めたころも、日本で撮影するものだと思っており、台湾に移住する考えは全くありませんでしたが、現地で2年半ほど暮らしました。
木暮 チャンネル登録者数は今や140万を超えたとか。素晴らしいですね。
村上 タイミングも良かったのだと思います。始めた当時は台湾の人にコンテンツを発信している日本人はほとんど皆無でした。今ほどユーチューブが普及していませんでしたし、日本で流行しているものとして、クリエーターの作品に手を加えた動画を配信するという手法が台湾の人にとっては新鮮だったようです。
日本人の「本音と建て前」に関心
木暮 反響が大きくなって海外や国際交流に対する意識に変化がありましたか。
村上 有名になりたいということが配信当初の主な目的だったので、番組キャッチコピーも三原くんの夢でもある「25歳からアイドルになれますか」というものでした。コンテンツが支持され始め、登録者が50万、100万と増えていく中で、台湾総統から地元の農家の方までいろいろな方とお会いする機会に恵まれました。そうなると、もっと彼らをつなぎたいという気持ちが芽生えてくるのです。災害時の募金の呼び掛けのほか、現地で暮らす人の声を広く伝えたいと思うようになりました。影響力が出てきた僕たちがやるべきことだと感じました。
木暮 配信する内容も変わってきていますか。
村上 そうですね。誰が見ても楽しめるように気をつけています。番組を応援してくれる人の中には子どもがいる方も出てきます。今ほど有名になる前は、番組で演じたキャラクターの「変態先生」として登場していましたが、そういう呼称は控えて今は「JUN醤(じゅんちゃん)」として登場しています。
木暮 台湾の人や現地の文化については、どのように分析されていますか。
村上 日本人に対して非常に親切ですね。男性は俗にいう「尻に敷かれる」タイプが多いかもしれません。女性の発言力が強く、国内には「お姫様病」という言葉があるくらいですから。女性は男性からの好意を自然に受け入れる。移動時の送迎や朝食の準備なども男性が率先してやっているようですね。一方、台湾の人が日本人男性に抱くイメージは「亭主関白」なのだそうです。
木暮 日本のどのような情報が関心を集めるのでしょう。
村上 思ったことをはっきり言う人が台湾には多いため、寡黙な日本人に対して興味がある。台湾人から見ると「口には出さないが日本人は内面で思考を巡らせている」のが面白いようです。例えば、女性に対する紳士的な振る舞いをスマートにできない日本人は多いです。本当は手助けしたいのですが「荷物を持ったら相手の女性が嫌がるかもしれない」と考えたりして行動に移せない。そうした「本音と建前的な態度」が台湾人には興味深いのでしょう。彼らからすると「言ってくれればいいのに」ということなのです。
木暮 インドで日本の「ほう・れん・そう(報告・連絡・相談)」について講演した際、「まず日本人は報告すべき相手の顔色を見る」と紹介すると聴衆は大爆笑していました。
村上 そういう内容も人気が出ますね。僕らも日本の「本音と建前」をテーマにした短い動画を作ったことがあります。例えば、食事を振る舞われた日本人が「独特な味がする」と表現する場合。海外の人にとって「ユニークであること」は肯定的でプラスな意味として捉えられます。ところが日本人にとってはマイナスの意味合いが強い。そういった表現やニュアンスの伝え方に台湾の方は驚く。
木暮 本音と建前で言うと、海外のIT開発の現場でも日本側は仕様書に明記されていないことも求めがち。相手から成果が出てこないと「そこは察してほしいのに」と期待外れに終わる。こうした日本人の裏腹な態度は台湾以外でも紹介できそうですね。
村上 確かにいろんな場所でできそうですし、もっとやりたいですね。
木暮 自虐的に茶化すのも良いかもしれません。
村上 台湾人の特徴を日本で紹介する内容のほか、台湾の情報も日本に向けて発信しています。双方向にコンテンツが出せるユーチューブチャンネルは多くないと思います。
木暮 それぞれの反応はどうですか。
村上 面白いのは、台湾には「褒められたい人」が多いことですね。テーマが「台湾のここが素晴らしい」というコンテンツだと喜ばれる一方、台湾に対する批評的な内容は受け入れられづらかったりする。日本人は「日本のここが変だ」という内容の方が好き。少しひねくれていてシャイなのかな。言葉をそのまま受け止められず、裏を探ってしまう。
木暮 大陸だと「変な人」がいるのは普通です。
村上 周りにいる変な人は、海外に行ってしまう人が多い気がします。三原くんは「25歳でアイドルになりたい」と言いましたが、日本なら「無理だよ」と言われる。台湾だと面白がられて応援される。
木暮 日本人は何か言いたくなるのかも。
村上 日本は批評に耐えてでもやり抜ける人だけが残るタフな環境ですね。その分、日本で頑張れたら海外でもやれるでしょうね。
木暮 今後したいことは?
村上 台湾だけでなく、さらにたくさんの人に見てもらえるように言葉をなるべく使わず、動きだけで分かるコンテンツを出したいです。短編動画はいったん評判になると、国を越えて広がるほど力がありますからチャレンジしていきたいですね。(おわり)