【第12回】「うじうじ考えてないでサッサやるだけよ」本多士郎さん

さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは、渡米後ニューヨークで委託販売店「Tokyo Joe(トウキョウジョー)」をオープンし、現在はタイ・バンコクでリサイクルショップを経営する本多士郎さんです。

 

木暮 高校時代の同級生の葬儀に海外から参列されたそうですね。

本多 親友の弔いでしたからね。現在は廃校になりましたが、全寮制の都立秋川高校にいました。寮という特殊な環境で多感な時期を過ごしました。家庭環境から何から違います。伊豆諸島の出身者もいれば、母子家庭もいましたし、海外駐在員の息子もいたり、多様な学生がひしめく寮生活でした。

 

木暮 お互いの結び付きが強いわけですね。その後の進学は?

本多 それが、その高校は1年半で退学になっています。ヤンチャの「お決まり」のコースですね。

 

木暮 このコーナーに登場した方で初の経歴かも。中退されてからは?

本多 昼間は働きながら夜学に通いました。卒業後は業界誌などで務めましたが自分には合わず、26歳の時に渡米しました。事情があって米国行きを決めたのですが、当時はどこがニューヨークでどこがロサンゼルスなのかも全く分からないくらい無知でした。もちろん英語なんてゼロ。働き口を見つけた日本食レストランは、朝9時半から夜11時までの勤務。休憩は2時間ほどありましたが時間を持て余すだけ。ひと月足らずでくじけました。その後もニューヨークでレンタルビデオ屋のマネジャー兼セキュリティー担当もやりました。強盗や万引きなどに対応する「用心棒」代わりです。強面だったのかな。

 

木暮 お話しを聞くほど、親しみが湧きますね。

本多 そうした生活を5~6年ほど続けていたところ、応募し続けていた米国の永住権(グリーンカード)の抽選に運良く当たったのです。これで人生が一変しました。

 

木暮 自由な就労も保証されるわけですからね。それからどうされたのです?

本多 やっと日本にも帰れるようになって、休暇を取りすぎたこともあって勤め先をクビになってしまいました。

 

木暮 いいきっかけだったのかもしれませんね。

本多 そうです、本当に良い転機でした。アメリカに居るのに、日本人社会にどっぷり漬かっていたんです。学歴もないので一般的な就職は望めません。古着を仕入れていた高校時代の同級生からアイデアをもらい、古着屋を始めることにしました。仲間とは連絡は続けてましたから。これも寮生活が育んだ強力な結束力ですね。

 

木暮 ノウハウや資金は?

 

本多 母から借りた100万円を元手にコンサインメントショップ(委託販売店)を始めました。残念ながら金を返す前に母は亡くなってしまいましたけど。ノウハウは他の店を参考にしたり、とにかくお金がかからないように店作りをしました。当初から20ドル(約2000円)以下のものを扱うのは避けました。1994年に数点の品を並べてスタートした店が2009年にはニューヨークの「ベストコンサインメントショップ」の称号を受けるという伝説を作るわけですから面白いですね。

 

木暮 足掛け15年のドラマですもの。ご苦労もあったのでは?

本多 順調にいくわけがないですよね。知人からニューヨーク案内の仕事などを回してもらって助けられました。苦労と言えばニューヨークという場所柄もあり、強盗や万引は日常茶飯事です。様子が怪しかった客が入った試着室に踏み込んだら注射器が出てきたこともありましたね。

 

木暮 緊張を強いられますね。

本多 それでも、日本人が商売をしているという信用がありました。品物を預けて販売を委託する業態ですから業者の「持ち逃げ」も普通にあります。

木暮 日本人としての「ブランド力」ですか。

 

本多 積み重ねです。日本人は普通に仕事すれば世界でも負けないですよ。自分だって言葉も何もできなかったのにどうにかなったのですから。

 

木暮 本多さんの魅力だったからでは?

 

本多 9年前からタイでも事業を始めました。ニューヨークでは仕事内容を指摘した相手から「逆ギレ」される経験もしましたが、タイの人はしっかりしています。

 

木暮 タイ人は日本人への「リスペクト」があるわけですね。特長を挙げるなら?

本多 とにかく基本的に親切です。「コンタイジャイディー(タイ人は親切)」というタイ語を教えてもらい、気持ちを伝えていました。日本でいう長屋のようなところに住んでいたのですが、近所から食べ物の差し入れが届くんです。

木暮 どうして?

本多 分かりません。多分かわいそうに見えたのかなぁ。毎日届きましたね。人間愛ですね。店は首都バンコクのプロンポンと半年後にプラカノンという場所に構えました。進出から9年で不動産も5倍に高騰しているのに、今も大家さんに恵まれて良いディールをもらってます。

 

木暮 タイで事業を始めたいきさつは?

本多 これまでも何度か観光では訪れていたものの、飽き始めていました。バンコクでバックパッカーをしていた11月のある日、たまたま友人に物件を紹介され、大家さんにも会って、その日に即決していました。東京の事業を辞めた翌週で商売するつもりは全く無かったのですが、以前から新規事業を一緒にやってみたかった知人がいたことを思い出して、すぐ連絡を入れたところパートナーになってくれ、翌月にはバンコクでブランド古着屋、半年後に家電やブランド品を扱う総合リサイクルショップをオープンしました。

 

木暮 展開が速い。

本多 仲間に恵まれましたね。みんな頑張ってくれています。バンコクは出店した場所が良かった。5万人の日本人が住んでいる地域で品物の持ち込みも多い。店では「日本人から入手した中古品」というのも売りにしています。タイ人が持つ日本人のイメージは「上質なものを所有している国民」なのです。

 

木暮 ここでも「日本人ブランド」ですね。

本多 タイの人も「本物志向」になってきたのかなという印象があります。経済力が付いてきましたし。ネット通販に押されてニューヨークの事業が縮小する中、タイでの中古販売業にうまくシフトできたと思います。最近では日本のリサイクル大手が偵察に来るほどです。

木暮 決めたら動き出すのは早い方ですね。

本多 せっかちですから。グズグズしていたら他のヤツに取られちゃうもん。

 

木暮 奥さまの実務面での協力もあったと聞きます。

本多 私は英語で書かれた書類も数字も見たことがないかも。そっちはみんな家内が助けてくれました。最初はサバイバルで、毎日休みなく働く生活が5年ほど続きました。

 

木暮 決断する時は即決されるのですね。日本人ブランドも活用されている。

本多 先日、タイ在住の日本人起業家向けに講演をする機会があり、ビジネス成功のキーワードとして、次の言葉を紹介しました。「ジャスト・ドゥーイット(ただやるだけよ)」これだけです。(おわり)

 

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