さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは日本庭園を豪州へ展開する会社「亀井造園」の代表を務める亀井貴司さんです。
木暮 創業された経緯を教えてください。
亀井 高校を卒業した後は、何かの「社長」をやりたいと漠然に思っていました。自分の体ひとつでできそうな仕事がないかなと探す中で植木屋さんに興味が湧き、専門学校の夏休みを利用して実家の近くの造園屋さんで1カ月ほどインターンとして働かせてもらったんです。そしたら「なんて素晴らしい仕事なんだ」と。お客さんとの距離が近いし、毎日「ありがとう」と感謝してもらえる。作業する場所も連日違う。同じ現場が続くのは長くて1週間ぐらいで、基本的には毎日、風景が変わり、いろんな景色が見られる。作業には適度な運動も含まれていて、仕事の後のご飯がうまい。
木暮 あっという間に虜(とりこ)になった。
亀井 インターンとしてお世話になった造園事務所に正式に就職して、5年修業しました。独立したのは25歳のとき。前年に結婚した妻との間に子どもができたのがきっかけです。就職面談では「30歳までに社長になりたい」という夢を伝えていましたが、かなり予定より早まりましたね。
木暮 そういう「事情」もあったわけですね。5年ぐらい経つと「自分でやっていけそう」という自信が出てくる?
亀井 自信というよりも「過信」でしたね。お世話になった造園事務所の業務は植木の手入れがメーンだったこともあり、ひと通りの仕事が3年ほどでできるようになっていました。ただ、決意して独立したものの、固定客がいるわけではありませんから、ゼロから顧客開拓です。地道に活動していると口コミで評判が広がって、徐々に仕事を紹介してもらえるようになってきました。何とか食べていけるようになったのは30歳の頃です。
木暮 会社組織にしているそうですね。
亀井 一時期は10人弱で運営していたんですが、造園業は冬場の仕事が少なくなりがちです。季節労働のような側面もある状況に職人さんたちから不満の声が上がるようになり「解決するには会社組織にしないとだめだ」と法人にすることにしました。法人化してからは仕事がうまく回るようになりました。
木暮 閑散期があっても安心して働けるし、職人さんにも、ありがたいことですね。
亀井 冬に仕事が減ることは長らく課題でしたが、その時期は南半球に行けば良いと気付いたんです。また、海外進出する別の動機として、社員に日本庭園を一から作る経験をさせたかったというのもあります。日本でいま、家を建てるときに庭を和風にする人はほとんどいませんから。
木暮 私も家を建てた際は建物に合わせて庭も洋風にしました。確かに純和風の庭を好きなように作る機会は少なそうですね。豪州に行けたのは、むしろ良かったのかもしれませんね。
亀井 豪州には日本文化や日本庭園が好きな方が多いことは分かっていましたから、需要がある国へ行った方がいい。それが今に至る感じです。
木暮 メルボルンを選んだのは?
亀井 北部ケアンズに拠点を構えている旧友から好調な国内経済の話を何度も聞かされていて、以前から豪州市場には興味がありました。ところが実際に行ってみると、ケアンズは常夏のような気候で日本庭園はなじまないことが分かった。そんな時に国内第2の都市として洗練されているメルボルンの評判を聞きました。そこで造園業を営む日本人と幸いにも連絡が取れ「事業をやりたいので弟子入りしたい」と志願したんです。
木暮 いきなり競争相手になろうとするのではなく、1人で教えを乞う。素晴らしいですね。
亀井 翌年に単身渡豪し、1カ月修業しました。その後は日本での事業もあるので「われわれで仕事が取れた場合は、土日にやりますから」とお願いし、社内で信頼できる幹部を現地に置かせてもらいました。いわば「人質」ですね。
日豪で異なる自然観
木暮 ロンドンに駐在した時に現地のフラワーショーを見に行ったことがあります。英国はガーデニング好きな人が多いのですが「庭を愛でる文化」は豪州にもありますか。
亀井 東京と気候が似ているメルボルンには四季があり、庭の材料として使える紅葉(もみじ)や竹もふんだんに生えています。都内の日比谷公園などで開催されているようなガーデンショーはメルボルンでも催されています。文化で言えば、和食や日本酒といった食文化は世界に浸透しつつあるのに、和風庭園の知名度は限定的です。そうした現状を変えられるように日本の造園技能が外国で売れたら面白いな、という期待もあります。ですから東京で提供している品質をそのまま現地に持ち込みたいという意気込みでやっています。うまくいけば、現地の人が日本の植木屋さんに興味を持ってくれるかもしれない。その人が東京で職人の仕事を覚えてくるようになるなど、日豪の架け橋になれたらいいという気持ちなんです。事情があって辞めてしまったのですが、豪州出身の人を雇用していたこともあります。
木暮 造園の技術やテクニックは日本の方が進んでいるのでしょうか。
亀井 豪州は全く異なりますね。発想が違います。植木の手入れにしても日本だと次の年にどう芽吹くかを予想しながら切りますが、現地は「邪魔だから切ってしまおう」という感じです。
木暮 来年のことを考えながら手を入れる日本の職人さんの思惑は現地で理解されますか。施主さんの要望もあるでしょう。
亀井 やり取りでのギャップはあります。中には「少しぐらい雑でもいいから早く済ませて」みたいな要求があるようです。こちらの提案とのせめぎ合いもありますが、まず説明して、押し付けにならないようにする。庭の手入れの場合はリクエストを聞いてから始めるようにしますね。海外では、そういう「手探り」がまだまだ多いですね。
木暮 われわれが携わるITの世界ですと、日本は開発の細部まで知りたがる人が多い。「ウォーターフォール型」といって全部を理解したいイメージ。これが海外だと、プロトタイプ(試作版)を繰り返して進める「アジャイル開発」が多い。われわれの仕事は、双方のやり方の違いを調整する方に多くの時間を割きます。
亀井 庭木の手入れと違って、海外での造園は相手から「分からないから、お任せします」と言ってもらえるので、やりやすく感じることもあります。外国でサービス展開する場合は、大きく手掛けると規模も費用もかかってしまいますから、「坪庭」のような小規模なものに特化するほうがいいと思ってるんです。その際には、より風情が出る天然の竹垣を作ることを薦めるます。これが日本では「プラスチック製のものを」と頼まれる。長持ちするし手入れが楽だからですね。ところが外国では自然のままやナチュラルな素材が好まれる。寿命は10年ぐらいなんですが「むしろ朽ちていく方がいい」と言いますね。
木暮 外国では「自然の中にいる」ことが高く評価されるんでしょうね。
亀井 日本は個人のお宅でも庭に人工芝を採用する方が増えています。そうした時代の流れも、やむを得ないのかなとも思っています。われわれは相手に喜ばれる部分で良い提案をしよう、と考え方を切り替えています。
木暮 現地では「トウキョウニンジャランドスケープス」という屋号で事業をされています。
亀井 作業着を着ていると現地の人から「忍者みたいな格好だね」と言われるほど「ニンジャ」は広く知られています。だったら、自分たちで忍者と名乗ってしまおうと。地下足袋の中には忍者が使うようなものが多いですし、半纏(はんてん)に「亀井造園」と印刷された作業着を現地に持っていきました。
木暮 アパレルの展開やロゴのデザインも印象的です。
亀井 社員を募るのに何年も苦労してきました。造園業界を志望する人が就職先を迷った場合、海外に挑戦したり独自でアパレル展開したりしている植木屋さんの方が興味を持ってもらいやすいと思ったんです。海外事業は開拓中です。
木暮 英語は?
亀井 数年前からオンラインでマンツーマン指導を受けており、自分で渡航先の宿泊施設を見つけて、気に入ったところの宿主さんと直接交渉してホームステイさせてもらっています。通訳なしでも飛び込み営業できるぐらいにはなりました。流暢に英語を話せるわけではないですし、たどたどしいぐらいの方が、相手も聞こうと思ってくれます。「この人、何を話しているんだろう」って。豪州の人は優しいですよ。
木暮 優秀な営業マンでもあるわけですね。豪州ビジネスが成功するといいですね。
亀井 海外についてはこれから成果を出したいです。利益を生んでいく会社にしないといけないと思っています。社員には「近い将来、私の給料は豪ドルでもらい、日本でもらっている分をみんなで分ければ、その分が増えるぞ」と発信しているんです。意気込みが伝わったのか、社内の雰囲気はいいですよ。まずは豪州の事業を軌道に乗せて、スタッフを何人か迎えたいです。それから学生時代からの憧れである米国西海岸でもビジネスをやりたいですね。(おわり)