さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは、ニューヨーク旅行をきっかけに現地に進学し、現在はニューヨークでスピリチュアル・カウンセラー/ヒーラーとして活動する佐藤みよ子さんです。
木暮 友人をニューヨークに尋ねたのが現地に住むきっかけになったそうですね。
佐藤 米国には全く興味がなく、旅行気分で遊びに来ただけでした。たっぷり観光を楽しんだところ、ふと「住んでみたい」と感じたのです。現地在住の日本人にも会う中で、自分にも何かできると思うようになりました。一度帰国して、学生ビザを取ってまた空港に降り立った時も現実とは信じられない、何か不思議な感覚だったのを覚えています。ニューヨークにはいろんな人種がいて、「こういうもの、こうあるべき」という考え方がない。空気が軽い感じがしたのが印象的でした。
木暮 日本でお仕事は?
佐藤 広告代理店で数年アシスタントをしていたくらいです。日本だと10年後や20年後といった未来の自分が想像できましたが、何か全く違う経験をしてみたいと思ったのです。
木暮 高校時代、将来が想像できるのが嫌で米国に留学しました。全て自分の責任だったのが身軽に感じました。実現してどうでした?
佐藤 忙しかったですね。学生の身分で労働には制限がある中、職種は選んでいられません。何でもやりました。授業のない夜はウエートレスもしました。未経験でしたが何とかできるものですね。
木暮 アルバイトにとってはチップも重要な収入源。
佐藤 接客態度が気に入らなくても渡さざるを得ない。ニューヨークでは最低限のチップは必須です。
木暮 学校卒業後に現地で就職。
佐藤 不動産関係の企業でグラフィックデザインの仕事をしました。本来はデザインオフィスで働きたかったのですが、労働許可の手続きをしてくれる会社でなければならず、選択肢は限られました。不動産への興味より、デザインができるということが決め手でした。会社には良くしていただき、就労ビザの更新などを経て6年ほど働きました。
木暮 デジタルアートの世界から転身。
佐藤 真面目に努力していたのですが、あまりハッピーではありませんでした。もっと幸せを感じたいという思いに駆られていた時期に、精神世界に触れるきっかけができ、会社員として働く傍ら、勉強しました。途中で労働許可の期限が切れたのですが、帰国は選ばず学生ビザを再取得しました。就労に制限がある中で、精神世界の方で本格的にやっていこうと決めました。
木暮 帰りたくなかった。
佐藤 日本の文化や美しさは大好きで、日本人であることに誇りも感じています。一方で、帰国しても「先が見える」ことに抵抗感があり、いずれ帰るにせよ、もう少しニューヨークにとどまろうと思いました。再度ビザを取得したのはダンススクールでした。芸術学部の大学院への進学も考えましたが、ダンスはもともと好きだったので、せっかくなので好きなことをやろうと思いました。ベリーダンスを始め、ダンスをしながらスピリチュアルについて学びました。
木暮 発想が素敵ですね。どう習得されましたか。
佐藤 精神世界を学ぶための文献などを読んで学び始めましたが、実は子どものころから、他人に見えない物が見えていたようです。当たり前と思っていた世界の見え方が周りと違っていることを成長するまで自覚できませんでした。家族以外には相談できないため、不眠に悩まされたりもしました。ところがニューヨークに来た時に、これまでとは違うエネルギーや活気を感じ、心地よく思えました。ニューヨークは大都会ですが、スピリチュアルなスポットだと思います。
木暮 手法は独学で?
佐藤 『奇跡のコース(ヘレン・シャックマン著・大内博訳)』を読んで、自分のコントロールというか、オンとオフが切り替えられるようになりました。今は快適です。偽善に聞こえるかもしれませんが、ヒーリングは困った人を助けるというより、自分も癒される、浄化される感覚です。みんなで一緒に幸せになっていくということです。
木暮 コンサルタントとして楽しいのは、相手の会社も自分たちも良くなる時です。
佐藤 人と人のふれあいが大事。癒やしてあげる、治してあげる、という構えではだんだん疲れてくるし、気持ちも乱れます。自分が軽やかになった(癒やされた)ときに「相手も大丈夫だな」と確認しています。
木暮 社会貢献もそうですね。自分が良くなっているという事が大切。
佐藤 人種もカルチャーも価値観も超えたところで、みんな幸せになりたいのは一緒です。宗教観の違いも表面的な事とも言えます。その人のもっと奥に触れたら壁はなくなります。
木暮 日本人が海外で長く暮らす上で、気付いたことは?
佐藤 日本の「当たり前」が全く通じないことが前提です。「日本だったらこうなのに」はストレスになるだけ。「自分の期待通りの反応が返ってこなくて当然」という感覚を持つことでしょうか。 当初は失敗もしました。日系の出版社で働いていた時、電話調査を任されたのですが、取材先の担当者までつないでもらえない日が続きました。打開策を考えているうちに、米国の女性は電話で低いトーンで話すことを思い出し、声の調子を意識的に下げてみました。すると途端に成果が出ました。日本流に電話口で高い声を使うのは、米国ではプロらしさが全く感じられないと捉えられていたのです。
木暮 実践した経験は貴重。
佐藤 いまだに分からないことがありますが、ニューヨークでサバイブしながらもっと楽しく生きていきたい。ニューヨークに戻ってくる機中で、こみ上げる緊張感があります。「私はこれを感じながら暮らしているのだ」と実感する瞬間です。
木暮 ニューヨークが「ホーム」になった?
佐藤 独特な感じです。日本人が海外で何をやっても、何年住んでもストレスはあると思います。特にニューヨークは何をするにも自由ですが、つらいときも放っておかれます。まともに受け止めると厳しいかもしれません。自分で助けを求めるすべを知っておくのも必要でしょうね。違いを楽しんだり、笑い飛ばしたりしながらやっていきたいです。日本で育つと「こうじゃなければいけない」と考えがちですが、どうありたいか、どうしたいか、で生きていれば良いのではないでしょうか。(おわり)