さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストはご自身の留学経験や夫の海外赴任に同行した経験を生かし、海外駐在員の妻を応援する海外生活情報サイト「駐妻カフェ」を主宰する飯沼ミチエさんです。(写真はいずれも本人提供)
木暮 高校生の時に交換留学をされたそうですね。
飯沼 米西部ワシントン州で1年ほど暮らしたのが海外生活の原点です。州境を流れる川に浮かぶ島に住んでいました。車で30分も走れば1周できるくらいの大きさですが、米国で島に住んでいたというのは珍しかったようですね。
木暮 初めての海外はどうでしたか。
飯沼 小学生の頃から米国行きを思い描いていたので、留学前はバラ色の未来を描いていました。ところが現地では自分の英語が全く通用しない。滞在中も「このままじゃだめだ」と思い悩みながら過ごし、最終的に楽しかったかどうかも分からないのが正直な気持ちです。今でも人生最大の挫折だったと言えるのですが、それまで郷里で「天狗」になっていたことが分かり、自分の常識が全然通じない世界があることを肌で感じられたのは、成長にとってプラスになりました。
木暮 英語以外のカルチャーショックもありましたか。
飯沼 米国は「自由」と「責任」の関係が背中合わせ。日本のように周りの目を気にする必要はなく、管理されない自由がある一方で状況は自分が切り開くしかないことですね。
木暮 どんな時にご自身で生きていかなければいけないと感じましたか。
飯沼 留学生だからといって特にちやほやされるわけでも、助けてもらえるわけでもありませんでした。孤独感や疎外感が芽生えても、自分でどうにかしないといけない。ある日、ホームステイ先の家族から外出に誘われたのですが、その日は落ち込んでいて気乗りしない態度を見せていたら、そのまま取り残されてしまいました。誰もいなくなった家で音楽を聞きながら「ああ、置いていくんだ…」と泣いていた記憶があります。今なら理解できるのですが、自分からアクションを起こさなければ放っておかれるということを実感しました。
木暮 海外留学は華やかなイメージがありますが、現地に行ってみると意外と大変ですよね。帰国後は?
飯沼 米国での経験は人生最大の挫折でしたが、留学には仕事として関わりたいと思うようになり、大学卒業後は、日本から海外への進学を目指す学生や社会人を支援する団体に就職しました。留学先の視察や渡航前オリエンテーションといった仕事にやりがいを感じ、4年ほど勤めました。そのころ、交際相手が北京に駐在することになりました。転職もしていたのですが、キャリアへの未練よりも海外生活への好奇心が強く、あっさり仕事をやめて同行しました。
木暮 実際に行かれてどうでしたか。
飯沼 2002年の北京は6年後のオリンピックに向けた開発中で活気がありました。結婚直後だったこともあり、滞在期間も半年ほどと新婚旅行みたいな感じで、夫より北京を楽しんでいたほどです。いったん帰国して日本でしばらく暮らした後、上海への赴任が決まるわけですが、駐在員の妻がいかに大変かをそこから知ることになりました。
木暮 どのように?
飯沼 当初は3~5年の滞在と聞かされていたのですが、上海での暮らしが2年目を迎えたころ、夫がシンガポールに転勤することになりました。中国での生活が楽しくなってきた矢先だったためショックで。極度のストレスで体調を崩し、顔の半分が動かなくなってしまいました。しかも夫は現地入りしている。精神的につらい時期でした。海外赴任は時期も含めて自分のコントロールが及びません。夫は赴任地を希望することはできませんし、妻の立場で言うと「夫の勤務先が決めた場所」でしかない。帰任する時期も分かりません。
木暮 そうでしたか。私も銀行員時代はロンドン赴任期間が予定より2年伸びましたし、企業に勤めるとそういう想定外がありますよね。
飯沼 帰国後は中断していた自分のキャリアについて悩みました。夫は商社勤めですから、今後も海外赴任する可能性は十分にあります。当初は迷いもあったのですが、キャリア形成で悩まずに済むように起業することにしました。夫の転勤についてはあまり考えないようにしています。まあ「なるようになれ」って感じです。
海外生活はチャンス
木暮 キャリアプランは夫婦のどちらかが犠牲になりがちですよね。飯沼さんが主宰されているウェブサイトが私の駐在当時にもあれば良かったのにと思いました。ロンドンでは邦人向け生活情報は全て手書きの紙でしたから。
飯沼 手書きとはすごいですね!
木暮 世界中の駐在員家族向けに情報をシェアしようと思ったきっかけは?
飯沼 進路を模索する中でコーチングスクールに通い始め、自分の体験をインターネット上で発信するようになりました。メールマガジンで「海外駐在員の妻をつなぐポータルサイト」の構想を打ち明けたところ、海外で暮らす多くの読者から協力の申し出がありました。反響に驚く半面、「何かしたい人は世の中に大勢いる」という予想が当たったような感じもしました。私は旗振り役に過ぎず、海外駐在員の家族にまつわるテーマは私だけの問題ではなかったのです。それから半年足らずでサイトを立ち上げることができました。
木暮 世界中から集まるメンバー間の意見調整は難しくないですか。
飯沼 ボランティアで40人ほどが関わってくれていますが、時差の関係などで全員が一堂に会したことは今までも一度もありません。トピックごとにチーム編成しており、会議もオンラインが中心です。編集長は就任当初から中国でリモート対応。実際に会ったことがある人はいないはずです。
木暮 現代風ですね。読者との関係はどうですか。つらい悩みを抱えている方もいるのでは?
飯沼 そうですね。深刻な悩みをお持ちの方にはコーチングを受けてもらったり、カウンセラーを紹介したりするケースもあります。カウンセリングに抵抗感を持つ人向けにはオンラインのイベントも用意しています。例えば、海外での不妊治療といったデリケートなテーマを相談できるオンライン交流会を人数限定で開催したこともあります。
木暮 海外生活になじめるか、についてはどう考えますか。
飯沼 個人差や「向き不向き」はあると思います。誰もがいつでもどこでも楽しめるタイプとは限りません。企業側も駐在員の家族まで適性は調べられませんからね。残念ながら現地の生活に飽きてしまう人や日本人同士の付き合いに煩わしさを感じる人もいます。私がメルマガで発信するメッセージを好ましく受け取らない方もいるでしょう。ただ「海外生活を人生のチャンスにしよう」とは言い続けています。実力を発揮しきれていなかったり、本来の自分を少し見失ったりしている人には何か助けになりたいとは思っています。
木暮 何より現地にいるというのは、良いチャンスですものね。現場に入って楽しむか、どう興味を持つかですよね。
飯沼 そう、好奇心ですね。在外邦人数は日本の人口の1%余りです。行きたくても行けない人がいることを考えると、幸運な境遇だとも言えます。シンガポールで第2子を出産した際、産婦人科の先生から「ビール1缶ぐらいなら飲んでもいいわよ」と言われて衝撃を受けました。日本では当たり前だと思っていた「常識」が世界の基準ではない。それに気付けたことで自分が楽になったという声も駐在員の奥さまからよく聞きます。海外で生活することは人格形成や生き方にも影響しますし、価値観すら変わることもありますね。
木暮 良い方向に変わるきっかけになりますよね。日本にいると「日本的な価値観」しか分からないことも多い。
飯沼 駐妻カフェにはいろいろな方が集まってくるため、それぞれの居場所を相対化できます。交流会やセミナーを通じてほかの国の様子が分かる。今後はキャリアや料理といった同じ関心を持つ人たちが双方向に情報交換できるオンラインコミュニティやイベントも準備しています。
木暮 面白そうですね。
飯沼 ひとりで海外赴任について悩んでいる方には情報交流サイト「駐妻カフェ」や、横のつながりを作ることができるオンラインコミュニティ「SUNNY PARK」の存在を知ってもらいたいです。帰国後にキャリアを再開しようとしている女性も多いので、今後は人材を探す企業と「駐妻」をつなぐ橋渡し役にもなりたいですね。(おわり)