さまざまな分野で活躍する方にお話をうかがうインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは待機児童問題への関心をきっかけに保育園を設立。埼玉県内で児童発達支援施設や放課後児童クラブなど教育支援事業を手掛ける実業家の中村敏也さんです。
木暮 米国で生活された経験があるそうですね。
中村 西海岸で1年ほど暮らしました。親戚がロサンゼルスに移住していたことも影響しました。小学校の頃から「いつかは起業したい」と思っており、その親戚も自分で会社を興していたことを知りました。大学を1年休学してカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(CSULA)で英語を学び、いろいろな夢を抱きながら楽しく過ごせました。
木暮 ご親戚が海外在住という状況は珍しいかもしれません。渡米していかがでしたか。
中村 最初は大学の夏休みを利用した短期旅行でしたが、米国流の自由を味わいながら世界の広さを実感できました。路上での飲酒が厳しく制限されていることを現地で初めて知り、「自由にはルールがある」と感じました。
木暮 海外は意外と厳しいですよね。ビールの調達で苦労した記憶があります。
中村 酒類の購入は日本の方が緩いかもしれませんね。米国は大通りを1つ隔てただけで地域の雰囲気が違って怖かったことも覚えています。当時はロス暴動の記憶がまだ鮮明で、バスの利用は避けるとか、この地域は近寄らないとか、警戒していましたね。
木暮 優しい人もいますね。
中村 ニューヨークのハーレムで迷子になったときは、見知らぬ黒人のビジネスマンに助けてもらいました。セントラルパークでは貸したペンがホットドッグになって帰ってきたこともあります。人との触れあいが日本より濃密でしたね。
木暮 ギャップがあります。
中村 当時はデザイナーに憧れていたのですが、米国で出会った人たちは自分たちで勝手に創作していたのです。気軽に表現活動をする人たちに触れてみて「自分で動くのって特別じゃない」と思いました。起業もそうなのですね。
木暮 私が高校留学中にお世話になったホストファミリーの息子さんはブラインドカーテンの販売会社を始めたり、転職して救急車を出動させる指揮官になっていたりします。起業のハードルが低い。
中村 日本よりも気軽ですよね。その後は自己責任。気持ちの上での障壁が低い。
木暮 文化的な違いなのでしょうね。自由に始められるわけですね。
中村 無意識に抱いていた偏見や差別意識があったことにも気付きました。町を歩いていて「チャイニーズ?」と聞かれただけなのに「日本人だよ!」と腹立たしく感じてしまい「自分にもこういう感覚があるのか」と驚きました。レストランで居合わせた客から「黙れ!」と罵声を浴びたこともあり、米国の暗い一面も目にしながら「自分にも差別感情が芽生えるかもしれないな」とも思いました。個人的にはアジアにルーツのある人たちと仲良くなり、中国、台湾、韓国それぞれの出身者と旅行にも行きました。
木暮 おもしろい組み合わせですね。
中村 人間同士であれば国籍に関係なく仲良くなれますよね。仲間にはいじられていましたけれど。
木暮 いじられる?
中村 中国人の友人から「日本は昔こんな悪いことをした」とからかわれるのですが、こちらは「ぼくら友達じゃないか、ひどいなぁ」とやり返す。当時は歴史に対する考えが強くなかったこともあってすんなり謝れたのだと思います。
木暮 社会人になると欧州とのやり取りが中心に。
中村 就職した通販会社でワイン輸入を手掛けることになりました。多様な欧州の中でも印象深いのはイタリアとのやり取りです。廃止されたはずの国内通貨リラの額面が載っている書類が送られてくるし、待てど暮らせどファクスは届かない。「大丈夫」という言葉を信じてカタログ制作がとん挫しかけたこともありました。どうやら代理店が交渉を仕切っていたのが問題だったようで、直接話すことができたドイツやフランスの人たちとは仲良くなりました。
木暮 携わった事業は当時の国内ワイン輸入の1%を占めるほど盛況だったとか。外国の文化に触れて海外事業に携わりながら、いろんな人との縁が生まれるわけですね。
中村 「みんな違ってみんないい」という考えは保育に生きています。今は分断が進み、相互理解が足りないように感じます。
木暮 違う人を認めるということですね。保育事業で起業したことで相当なご苦労もあったのでは?
中村 覚悟はしていたものの、最初は会話が通じませんでした。ビジネス用語は全く使わない世界ですから当たり前ですよね。ペンディングは「延期」に、アジェンダは「議事録」に言い換えないと伝わりません。電話に率先して出ないことにも戸惑いました。でも根が良い人が多く、人に寄り添うことを大切にしていました。結果よりもプロセスが重視されるのです。
木暮 ビジネスの世界とは異なりますね。
中村 独立したころは社会起業家としての焦りがあったのかもしれません。当初は立て続けに保育園を立ち上げました。あえて目標を高く設定していたのも、成功していく友人たちをうらやましく感じていたからです。「自分も何者かになりたい」という焦燥感が35歳ごろまで消えませんでした。
木暮 友達の存在は刺激をもらえる一方でどうしても気になりますよね。自分は少しイケてるかな、とかね。
中村 相手と比べてしまう気持ちはなかなか消えないですね。
感情より事実
木暮 児童発達支援事業にも力を注いでいますね。コーチをしていたラグビースクールに集団行動のルールを消化しきれない子がいて、こちらが手をこまねいているうちに退会してしまいました。どうにか救えなかったのか、と思い出すことがあります。中村さんは「発達に凸凹(でこぼこ)がある」「愛情を込めた言葉や教育を注いでも、穴の開いたバケツのように流れてしまう子もいる」といった表現で「療育(りょういく)」の重要性も強調されています。現場でどうお感じになりますか。
中村 保育や幼児教育のような成果が見えないですね。子どもには達成できることを増やしてあげたいのですが、前日できていたことが次の日にはまたできなくなることもある。その中で原因を考え、手立てを見つけながら試行錯誤するのが療育です。しかも半年~1年をかけて、ようやく子どもの成長が見いだせるかどうかという、非常に根気のいる作業。忍耐力も必要で保育や幼児教育とは全く違います。療育に携わる職員を募集する際は「あきらめないで支援ができる人」を重視しています。出口が見えなくても子どもに愛着を持ちながら力を注ぐ。ただし頭は冷静にして状況を分析する。これが「応用行動分析(ABA)」という手法です。愛情を込めつつロジカルに。耐え忍びながら。
木暮 愛情を持って長期的に取り組む。ビジネス一般に通じるような心構えです。
中村 あきらめないで、人や製品を愛するのもそうですよね。
木暮 現場で働く職員の方には、ご自身の考えをどのように浸透させていますか。
中村 理念を伝え、共感してくださる方に集まってもらうという採用活動をしています。会社では、あいさつをする、感謝を伝える、相手の言うことに耳を傾ける、相手に伝える勇気を持つ、という「4つの約束」をお願いしています。約束が文化を作り、文化が理念を支えると信じていますので、それを守ってくれて、現場の雰囲気になじめそうな人が来てくれる仕組みにしています。ただ、採用の「入り口」で間違えそうになることもあります。面談でうまいことを言う人もいます。そこで応募者の方には「ご自身の具体的なエピソードを描写してください」とお願いしています。いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように、という「5W1H」を交えて説明してもらうと事実が見え、その事実から人間性が浮かび上がってくると考えているからです。感情ではなく事実に焦点を当てる。実はこれもABAのひとつです。
木暮 すごい。うちの採用でも活用したい。
中村 子どもに対する手立てが見つけやすい評価指標としてABAは定評があります。専門用語もあるため、児童発達支援に携わる職員には最初に学んでもらっています。保育や幼児教育では使わない言葉もあります。
木暮 普段の生活でもビジネス用語を多用しすぎて、言葉が通じず反省することもあります。
中村 実は同じことを話していて、言葉が違うだけなのです。ただ、思いはつながりますね。
木暮 今後は?
中村 当園で取り入れているオランダの幼児教育法「ピラミーデ」のような手法のほか、海外の素敵なおもちゃや療育器具を紹介したいですね。今より先のことを教えるのが教育。子どもが生きるのは未来です。歴史も大事ですが、われわれが見なければいけないのは20年後。なかなか想像するのは難しいですが、将来に思いをはせながら日々いろいろと考えています。(おわり)